課題が多くとても忙しい私立中学校から、慶應女子高に合格した生徒のお話を紹介させてください。
その子のことでまず思い出すのは、まだ指導し始めて少ししか経っていない、中学2年生の冬頃。模試の成績を見ながら、目の前で泣き始めるのです。
「この成績では慶女に受からないです」
と。
確かに、一般的な塾であれば、このまま勉強しても慶女には届かなさそうな成績でした。彼女は中学受験で明大明治を受験して失敗してしまっていましたから、受験に対するリベンジの思いというのは、人一倍強い子でした。でも、中2の冬に模試の結果で泣く子というのはなかなかいませんから、驚きましたし、その子の気持ちの強さをそこで知りました。
「大丈夫だよ。絶対に受からせるから心配しないで」
なんとか慰めようとして、それに、毎年慶女志望の子たちを合格させてきたという自信もあって、つい言ってしまいました。受験に絶対はありませんから、それまではそんなことは言ったことがなかったのですが…。
彼女はとてもまじめな生徒で、言ったことはきっちりとやってくれる子でした。ただ、学校の課題も含め忙しく、とにかく時間に追われていました。
勉強の仕方をよく相談してくれていましたが、あるときのこんな相談を今でも覚えています。
「英語も伸ばさなきゃいけないのに、数学もやらないと成績が落ちちゃいそうで怖いです」
「数学はどれくらい復習に時間かけてるの」
「今までやった問題は全部5周は解いてます」
「そんなに解いてるの!?」
「私やらないと忘れちゃうんです」
「数学の復習のペースを抑えよう。数学は、一番やってたときの20%のペースでやることにしよう。それで、残りの時間を英語にあてよう」
彼女は「数学をハイペースで回さないと忘れてしまう」と思い込んでいましたが、実際にはそんなことはありませんでした。もしかしたら、中学受験のときに算数を理屈抜きのガチ暗記で詰め込まれていたから、そのときはやらないと忘れてしまっていて、その思い込みがそのままだったのかもしれません。
私の教え方であれば、理屈を抑えていますから、そんなに回さなくても忘れないはずなのです。実際、彼女は私の言う通りにして、英語にほとんどの時間をあてるようにしましたが、数学の成績は下がりませんでした。
詳細は長くなるので省きますが、中3になってからも、彼女には何度も目の前で泣かれました。
「泣かれた」というと響きが悪いですが…笑 それだけ信頼してくれているのだろうという思いもありましたし、そのたびに、「絶対に受からせる。この子が受からなければ、自分が講師をしている意味はない」と強く思っていました。
1月からは泣くところを見なくなりました。彼女はまるで心を消したかのように、灰色の石みたいな目で、白いセーターの袖が黒鉛で黒くなるまでひたすら勉強していました。
2月12日、合格発表の結果を電話で報告してくれました。不合格でした。呼吸するのでせいいっぱいの様子でした。私も胸が引き裂かれるような思いがしました。補欠2番とのことでしたが、慶女の補欠が繰り上がることは、過去の実績からするとほとんどありません。補欠2番であれば、小問1つ分以内の差だった可能性が高いです。どこかでもう少し取らせることはできなかっただろうか。本当に悔しくて、その日はよく眠れませんでした。
2月13日、明大明治は合格していました。中学受験で不合格だったところにリベンジを果たせたので、彼女はそれだけでも十分の結果と言ってくれていました。
そして2月14日、「慶女繰り上がりました」という連絡がありました。
私は力が抜けてしまって、「おおお…」と腑抜けた声しか出せませんでした。補欠が繰り上がった正確な背景は分かりませんが、彼女の努力が報われたことは本当に喜ばしいことでした。
後日、合格の挨拶をしにきてくれましたが、12月後半から寒さで凍ったみたいに無表情な顔しか見ていなかったので、あの幸せそうな顔は本当に印象的でした。彼女は入試当日に起こったことや、感謝の言葉を立て板に水のごとくお話してくれました。
「先生に習っていてよかった」
「入試本番、数学の大問4の(1)が分からなくて、諦めてしまいそうになりました。でも、頭の中で『最後の1分まで諦めるな』って先生の声が聞こえてきたから頑張れて、そしたら解き方が思いついて、最後まで一気に解ききれました」
この2つの言葉にはやられてしまいました。
「明大明治に受かっただけでも100点の結果なのに、慶女にまで受かれて、 高校入試を120点の結果で終えることができた」と、お母様はおっしゃっていました。
もともと中学受験でマーチレベルの学校に落ちてしまっていますし、彼女は才能型というわけではありませんでした。慶女は、慶女への思いが強い子が合格する。そのことを再確認させてくれた生徒でした。

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