「できる人は、できない人の気持ちが分からない」
教育の世界に限らず、一般的によく耳にする言説です。
私は祖母も叔母も教員で、父親も教員免許を持っているという教員家系なのですが、叔母に「もともと勉強できる人は勉強教えるん難しいんちゃうん?」と言われたこともあります。
ただ、結論から申し上げますと、私は
勉強が得意だった人の方が、良い先生である確率は(少しだけ)高い
と思っています。傾向の話であり、もちろん例外はたくさんあります。
この記事では、世間にはびこるこの言説について深掘りしていきたいと思います。
そもそも「気持ちが分かる」の「気持ち」とは何か?
「できない人の気持ちが分かる」の「気持ち」とは何を指しているのでしょうか?
まず、本当に「気持ち」を指しているのだとすると、以下のような内容が考えられます。
- 勉強が嫌い・怖い・不安という感情
- 問題を前にして、どこから手をつけていいか分からない戸惑い
- 周りと比べてしまって、自信を失っている心持ち
このように色々考えられますが、いずれにしても、これらの感情は、勉強ができる人であっても、勉強以外のどこかの分野では経験している人がほとんどです。
たとえば、私は水泳が苦手でしたが、スイミングスクールに通いたての頃は水に顔を入れるのも怖かったですし、クロールの練習では後ろの子に追い抜かされることもありました。また、小学生時代、友達に誘われて野球部に所属していた時期がありますが、グローブ越しでも野球の球が痛くて痛くてたまらず、練習が苦痛で仕方なかった記憶しかありません。
このような挫折経験は多くの人がどこかで持っており、そのときにどういう気持ちであるかは身をもって知っています。
「気持ちが分かるかどうか」は、姿勢の問題
もっと言えば、私は
「気持ちが分かるかどうか」は、姿勢の問題
だと思っています。
勉強ができた人であっても、
- 生徒の話をきちんと聴こうとする
- 相手の表情の変化に敏感である
- 自分の価値観を押しつけず、まず相手の立場に立とうとする
こうした姿勢があれば、「できない側の気持ち」に寄り添うことは十分にできます。
逆に、たとえ学生時代に勉強が苦手だった先生でも、
- 自分の経験だけを絶対視してしまう
- 「自分は苦労したんだから、あなたも頑張りなさい」と同じ苦労を押し付けてしまう
- 生徒が感じているリアルな不安やプレッシャーを、改めて聴こうとしない
のであれば、「気持ちが分かる先生」とは言いづらいでしょう。
共感力・想像力・傾聴姿勢といった人間性の部分は、その人の学歴とはほとんど関係がありません。
したがって、「勉強ができる先生=気持ちが分からない先生」という決めつけは、やはり不公平だと思います。
「生徒がどこでつまずくか」は、“教師として学ぶ”べきこと
「できる人はできない人の気持ちが分からない」という言説は、もう一つの捉え方があり、
どこで生徒がつまずくのかが、直感的には分からない
という意味で話されることも多いです。
たしかに、ずっと成績上位で来た人は、他の人よりも躓いてきた経験は少ない傾向があると思います。なので、最初のうちは「え、なんでここで悩むの?」と、戸惑うことがあります。
しかし、ここで大事なのは、
「生徒がどこで躓くか」は、“教師になってから学ぶべきこと”だ
という点です。
生徒のノートや答案、普段の様子を観察し続けていけば、必ず見えてくるものがあります。
- この単元では、だいたいここでつまずく
- こういうタイプのミスをする子は、こういう思考プロセスになっている
- 表面上は同じ間違いでも、裏側の原因が違うパターンがある
こうした「つまずきポイント」の知識は、自分が学生のときの経験だけに頼るのではなく、教師になってから、生徒を観察し続けることで蓄積していくものです。
もし、「自分の体験からしか教えられない」のであれば、それは学歴に関係なく、どんな先生でも限界があります。自分とタイプの違う生徒に対して、教えるべきことが必ずこぼれ落ちてしまいます。
だからこそ、いい先生であり続けるには、
- 生徒の間違えかたを観察する
- どこでつまずきが起きていたかを授業ごとに振り返る
- 分からなさそうな顔をしているときに、「どこから分からないのか」を丁寧に炙り出す
といった手段を使って、教師になってから引き出しを増やし続けることが不可欠です。
現場ではどうか:高学歴の先生は本当にわかりやすい?
私自身、大手塾で働いていたときに多くの先生方を見てきましたが、肌感覚としては、高学歴の先生の方が、「分かりやすい」と評判になることが多かったです。(ちなみに、私の働いていた塾では講師の学歴は「生徒には言わないこと」となっていたので、学歴が直接高評価の理由になることはあり得ませんでした)
もちろん、これは「絶対」ではありません。実際に、
- 学歴は高くないものの、しっかり高校受験を研究し続けていて、さらに生徒としっかり向き合って教えるので生徒から大人気の先生
- 難関大学卒だけれど、一方通行のコミュニケーションばかりで生徒を置いていってしまう先生
といったケースも、何人か見てきました。
ただ、「全体の傾向」として見たときには、
- 説明すべき対象を正確に論理的に分析し、分かりやすく正確な言葉に置き換えることができる
- 抽象と具体を行き来しながら考える力がある
- パターン学習が得意なので、生徒の間違いパターンの収集・蓄積も速い
こういった理由から、
勉強が得意だった先生の方が、指導経験を重ねるにつれて「生徒の躓きポイント」の蓄積も増していく
という側面は、やはりあると感じます。
もう一度強調しますが、あくまで「傾向」の話であって、「高学歴=いい先生」「そうでない=ダメな先生」という単純な図式ではありません。
現実には、この傾向が逆転している例も普通にあります。
結論:大事なのは「スタート地点」よりも「その後の学び方」
ここまでをまとめると、次のようになります。
- 挫折経験は誰でももっている。
- 「気持ちが分かるかどうか」は、姿勢の問題であり、学力とは直接の関係はない。
- 「どこでつまずくか分からない」という意味なのであれば、それは教師になってから、生徒の間違え方を観察して学んでいくべきことである。
- 実際の塾現場では、傾向としては勉強が得意だった先生・高学歴の先生の方が「分かりやすい」と評判になるケースが多い。もちろん例外も存在する。
そのうえで、改めて最初の問いに答えるなら、
勉強が得意だった人の方が、よい先生である確率は高い。
ただし、最終的な優劣を決めるのは「スタート地点」ではなく、教師になってからどれだけ学び続けるか・どれだけ生徒と向き合うかである。そして、その素養を決めているのは、通知表の左側(学力)ではなく、右側(人間性)の数字である。
というのが、私の考えです。(最後の一節は、某接点t先生の引用です)
教師も、生徒と一緒に一生学び続ける力が大事だということです。

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